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ある日の午後、原稿の執筆を終えた岸辺露伴は玄関チャイムの音に顔を動かした。 椅子から腰を浮かし、歩き出すまでに確認した時刻はまだ学校が終わる時間ではない。よって彼の友人である広瀬康一が遊びに来た、という可能性は限りなく低くなり、客人が来る予定もなく、車やバイクの音がしなかったことからして宅配という可能性も低い。となるともう、選択肢の幅は更に狭くなった。これもひとえに岸辺露伴の交友関係の狭さからくるものだが、彼本人は至って気にしてはない。 露伴が玄関へと歩くまでの間に脳裏に浮かび上がった人物は一人。そしてその人物はまさに、扉を開けたその場所に立っている姿と一致していた。 「やあ。どうしたんだい、」 「こんにちは、露伴。ちょっといい?」 「構わないよ。今ちょうど原稿を書き上げたところでね」 自身の予測が当たっていたからか、露伴は少しだけ得意げに彼女を家に迎え入れた。 お邪魔します、と後ろ手でドアを閉めた彼女は露伴の後について室内を進む。 彼女の名は。コンビニエンスストア、オーソンのはす向かいにある“写真店”の一人娘だ。歳は露伴と同い歳。写真を撮るのが趣味で、実家の写真店で仕事をしていないときは大抵カメラを片手に杜王町を歩いているような人物だ。 そして岸辺露伴とは(一番当てはまる言葉を使うならば)幼馴染である。とは言え二人の関係は幼馴染と言うには曖昧だ。何せ共に過ごした時間の記憶が彼ら自身にはほとんどないのだから。 二人は幼年期を共に遊び過ごしたが、露伴は十五年前に起きた杉本一家惨殺事件の折に記憶をなくし、家族ともども引っ越していった。そして露伴がこの杜王町に(彼本人にその自覚はなかったが)“戻って”くるまで二人の親交は全くなかった。再会しても、露伴の方は杉本鈴美への記憶と同様に彼女の存在を完全に忘れ去っていたほどだ。とは言え事件のことがなくとも、四歳ほどまで遊んでいた相手の記憶を成人するまで保持しているというのも稀だろう。現に記憶を失ったわけではない彼女の方も写真や思い出話の中に存在する岸辺露伴という存在をかすかに覚えている程度だ。 そんなふたりは、知人と言うには近く、友人というのもどこかしっくりこない。 よって、何とも複雑だが二人は“幼馴染”という間柄なのである。 そんな彼女が岸辺邸にやってきた。 わざわざが露伴を訪ねに来るときはだいたいが何がしかの厄介ごとか、自分では解けない何かがあるときだ。一般人なら面倒だと眉をしかめるようなことも、露伴にとっては彼の知的好奇心を満たす良い着火剤となる。彼女はどんな“謎”を運んできたのか。ソファへと腰を下ろした彼女へと露伴は好奇心を滲ませながら来訪の理由を訪ねた。 すると、は一枚の写真を差し出した。 「これ、わかる?」 そこに写っていたのは、笑顔を向ける四歳ほどの少女と少年の姿だった。 露伴は写真に写る二人に見覚えがない。しかし、推測はできた。手にした写真を真っ直ぐに持ち上げて、ソファに座る彼女の顔の横に写真の少女を並べた。 「その言い方からすると、この子供たちは君とぼくなんだろう?それぐらいは“わかる”さ。覚えているか、と言われたら別だがね」 比べて見れば少女にはの面影があった。そして少年には岸辺露伴の面影がある。 こうして幼年期の二人が並んで写っているということは、この写真が杉本一家殺害事件のあった十五年よりも前に撮られたものだということがわかる。保存方法が良かったのか写真自体はあまり色褪せてはいないが、おそらくは四歳の頃だろうか、と露伴は推測した。 その推測を肯定するようにの首が縦に動く。 「そう、露伴と私。それでね、写真の裏に……」 「裏に……へぇ」 言われた通りに露伴がくるりと写真を反転させると、隅の方に細い字でこう記してあった。 “十五年経ったら一緒に開けようね” 「十五年……ちょうど現在みたいだな」 「うん。この写真を撮ったのはあの事件のちょっと前……だと思う」 あぁ、と頷いて露伴はもう一度写真を見遣る。事件があったのは八月。とすれば幼い自分たちの服装からしておそらく春から初夏の頃だろうか。 「そして……“開ける”……なるほどね」 「わかったの?」 「どうやら君はわかってないらしいな」 露伴が意地悪くそう口にすると、彼女は小さく口を尖らせた。「だからここに来たんじゃない」という小さな呟きに、露伴はフッと笑う。 「“開ける”ということは、目的のものが“何かの容器に入っている”ということだ。だってのに、写真にはそれらしい宝箱みたいなものはない。代わりに――ほら、ここだ。このぼくたちの間の植込み……ここに、掘り返したような跡があるだろう?ぼくたちはここに“何か”を“埋めた”んじゃあないか?そしてそれを“十五年経ったら”開けようとしていた。つまり?」 露伴がひらりと写真を揺らし、彼女を見遣る。それに答えるように彼女も頷いた。 「……タイムカプセル」 「ぼくはそうだと思うね」 タイムカプセルとは、それぞれ持ち寄った物を一つの容器に入れて地面などに埋めておき、あらかじめ決めた年月の後に掘り起し開けるものだ。埋めるのは当時の宝物であったり、未来の自分へのメッセージなど様々である。 そんなものを、幼いと露伴はどこかに埋めたらしい。 「そんなもの、埋めたっけ?」 「ぼくに聞くなよ。記憶がないって知ってるだろ」 「あぁ、うん、ごめん。でも私も記憶にないから……」 「四歳頃の記憶ならそんなものだろうさ」 言いながら、露伴は再びくるりと写真を反転させる。そして幼い頃の二人が印刷された表面を数秒眺めていたかと思うと、おもむろに立ち上がり、流れるような動きで歩き出す。対する彼女の方はと言うと、突然動き出した露伴に目を瞬かせつつ座ったままだ。それに気付いた露伴が無表情のまま、僅かに目を細めた。 「なにしてるんだ、行くぞ」 「えっ、でも場所……わかるの?」 の問いかけに対し、露伴は溜息を吐きたくなった。 しかしそうはせず、代わりに写真で座ったままの彼女の頭を音もなく叩く。 「背景をよーく見てみろよ。写真を見るのは得意だろう?一見わかりづらいが塀と一軒家の壁らしきものが見える。これはどこかの家の庭で撮影されたものだ」 「でも、私の家には庭なんてないし、露伴の家は……こんな感じじゃなかったと思うんだけど」 「あぁそうだ。だから、どちらかの家じゃあないんだ」 きっぱりと言い切ると、露伴は彼女の頭に写真を置き去りにして踵を返した。は彼に置いて行かれないようにと慌てて写真を掴んで立ち上がると、玄関へ駆けだす。が彼の隣に並んだ頃には、二人は青空の下にいた。 「写真の左スミにある“影”がわかるかい?」 「影……これは、アーノルド?」 歩きながらが写真に目をやると、確かに左スミにはぼんやりとではあるが、影が映っている。そしてその形は一目で人間ではないとわかる。これは、紛れもなく四足の動物のものだ。 「影の位置からして、撮影者の隣にいるんだろうな。――この影がアーノルドなら、撮影者は」 「鈴美おねえちゃん」 「その通り。この写真は杉本鈴美が撮影したものだろうな」 「じゃあ……この場所は鈴美おねえちゃんの家?」 「お互いの家じゃあない以上、その可能性が高いはずさ」 彼女はなるほど、と頷いたが、すぐに思案顔になった。 「鈴美おねえちゃんの家って……」 「現在の地図上には“載っていない”な」 ここでようやく、は岸辺露伴がいったいどこへと歩き出していたか?を悟ったようだ。 見慣れた道を辿り、視界に入ったのは昼でも目立つコンビニの看板だ。そのはす向かいに見えたのはの自宅である写真店。そう、ここは鈴美が立っていた“例の小道”へと繋がる場所だ。 しかし、今現在杉本鈴美はここにいない。吉良吉影の事件は少し前に奇妙なひと夏と共に十五年越しの終わりを告げ、それと同時に杉本鈴美は成仏し空へと昇って行った。 はあの小道と鈴美をワンセットと考えていたため、鈴美がいなくなった今、小道もなくなっているのではないか?と疑問を投げかける。――が、どうやら杞憂だったらしい。 二人が視線を向けた先、「ドラッグのキサラ」とコンビニの「オーソン」の間には、見覚えのある小道……“この世”と“あの世”の境目がぽっかりと口を開けて待っていたのだ。 「どうやら……正解のようだ」 露伴は迷いなく小道の奥へと足を踏み入れていく。 人気のない道路を進み、ポストの前を通り過ぎると杉本家が見えてきた。十五年前から時が止まったままの静けさの中、露伴は何の躊躇いもなく杉本家の門を開いた。そしてそのまま玄関から脇に入り庭へと向かう。視線を動かし写真の場所を探る露伴に背後から声がかかった。 「露伴、そっちじゃない。たぶんこっち側だと思う」 写真を手にしたままだったが目線の高さまで持ち上げた写真と杉本家を見比べる。 「この植込みの間じゃあないかな?」 そう言って彼女が指さした場所に露伴が視線を向ける。確かに写真の中の二人がいる場所と示された場所は一致するようだ。露伴は持ってきていた鞄から手持ちの小さなスコップを取り出すと、躊躇いなく植込みへと差し込んだ。 「そんなものいつの間に……」 「タイムカプセルを“掘りだし”に行くのに、手ぶらで向かう人間がいると思うのかい?君は」 その言葉に口を尖らせるにも構わず、露伴は黙々と土を掘り返していく。 すると、そう時間もかからずに土を掘り進める彼の手へと固い何かにぶつかる感触が届いた。 「あったぞ」 土を掃い、取り出したのはお土産でもらうようなありふれたお菓子の缶だった。場所が場所だからなのか、缶自体に腐食や錆びは見られない。まるで埋められてさほど経たずに掘り出されたようだ。おかげでロゴもはっきりと読み取れる。二人の記憶にはないが、杉本家でよく出されていたお茶請けのお菓子の缶だ。おそらく杉本鈴美が用意したのだろう。 「開けられる?」 「あぁ、問題ないな」 露伴が力をこめると、缶の蓋はあっさりと持ちあがった。そして同時に二人が開かれたその中身を確かめようと覗きこむ。お互いが十五年前、杉本家の庭に埋めたものとはなんなのか。その疑問に対する答えは――まだ少しだけ時間が必要らしい。何故なら、タイムカプセルであるお菓子の缶の中に、二つの箱が入っていたからだ。 「……ちょっとドキドキしたのに」 「この箱は、ぼくと君それぞれのものということだな」 「おねえちゃんのぶんはないの?」 「……あぁ、見当たらない」 二つの箱を取出しお菓子の缶をチェックするが、この二つの箱以外には何も入っていないようだ。 「おねえちゃんは入れなかったのかな」 「入ってないならそうなんだろうな。――こっちが君のだ」 「うん、ありがとう」 露伴が差し出した箱をが受け取る。元は何が入っていたかはわからないが、真っ白くて四角い箱に、確かにの名前が書いてあった。名字名前共にしっかりとした字で書かれていることから、おそらくこれも杉本鈴美が書いたものだろう。受け取ったそれを、「なに入れたっけ」と首を傾げながら、はとりあえず振ってみた。すると、箱の中からカタカタと軽い衝突音が聞こえてきた。中身の予想がつかずには更に疑問を強くした。 「気になるなら開けてみればいいだろ」 「そうなんだけどさ」 「なにを埋めたか“は”思い出せないから気になるのかい?」 「――えっ」 露伴の言葉に引っ掛かりを覚え、思わず聞き返す。 「君はわかっていたんだろう?あの写真と裏側の文言がタイムカプセルを示していて、それが杉本家の庭に埋められている……ということに」 岸辺露伴がニヤリと笑う。そうなると、彼女がとぼけようとしたって無駄だろう。自分でもうまくいっているはずだと思っていた演技ももう通じない。露伴はもう既に、疑惑を確信に変えてしまっているのだ。彼女は観念したように両手を上げた。 「…………なんでわかったの?」 「会話の端々で、どうにも少しずつ引っかかっていたんだ。四足の動物の影を見て、犬かどうかも分からないのにアーノルドだとすぐに答えたりな。それ以前に、普段から何百枚と写真を見ているはずのが“写真に散らばる情報を見落とさないはずがない”」 「そこまで言われたら、仕方ないなぁ……」 は露伴からの思わぬ評価に上がりそうになる口角を抑え、気を落ち着ける代わりに肺から息を深く吐き出した。そして彼女はポケットに入れていた写真を取り出す。 「でも、全部覚えてたわけじゃあないよ。私が覚えてたのは“約束”だけ」 写真の中で笑う幼い自分を見て彼女はふっと表情を緩める。 「“掘り出したらそれを交換しよう”――っていう、約束」 そう言うと、は自分の名前が書いてある白い箱を露伴へと手渡した。 露伴が受け取ったその箱は、彼が思った以上に軽かった。先程彼女が振った時に軽い音がしたのも頷ける。そして露伴は“なにが入っているのか”を思案する前に、躊躇することなく箱の蓋を開けた。 「――これは……“しおり”か?」 「しおり?」 露伴の指が掴み持ち上げたそれを、も確かめようと顔を動かした。すると露伴の言った通り、ちょうど手に収まるほどの大きさのしおり(読書の際に目印として本に挟むあの“しおり”だ)があった。白い紙の中心には押し花となった四葉のクローバーがある。 「これ、もしかしなくても手作りかい?」 「えっ、本当に?」 「既製品でこんなに不格好なものもないだろ」 「……そりゃあ、手作りだとしたら四歳の女の子の作ったものだろうからね」 不格好という言葉に少々ムッとしただったが、目にしたしおりが露伴の言葉の通りいびつで不格好だったため、それを受け入れた。しおりによくあるような長方形……と言うには、それは少々歪み過ぎていたのだ。 「だが、使えないことはないだろうな」 言葉と共に岸辺露伴の懐に仕舞われたしおりを見て、は目を丸くする。彼女はてっきり突き返されると思っていたのだ。 「なんだよその顔は。君が寄越したんだぜ」 「いや……まあ、そうなんだけど」 は嬉しいような、恥ずかしいような、そんな複雑な感情を顔に滲ませていた。露伴はそんな彼女を見て気付かれないほどに小さく笑うと、今度は自身の持っていた彼の名前が書かれた箱を開き始める。その行動に、はまた驚くことになった。 「えっ、それ私にくれるんじゃあないの?」 「その“約束”を覚えていたのは君だけだろ。ぼくは覚えてないんでね。だいたい、中身もわからないようなものを人に渡す気は起きない」 そうさらりと言いのけて露伴は箱の蓋を開いた。の位置から箱の中身を覗き見ることはできないため、中身が何であるかを知るには露伴の動きを待たなければいけない。しかし、岸辺露伴は動かなかった。箱の形状からして中身は見えているだろうに、まるで時が止まったかのように箱の中身を見つめたまま動きを止めていた。 その様子に、が不安を覚えつつも彼の名を呼ぶ。すると露伴はゆっくりと瞬きをして、箱の蓋を閉じた。そしてそのまま、眉を下げていた彼女へと箱を投げて寄越す。突然のことに驚き取り落としそうなったが、をその箱をしっかりと手に収めた。 「ろ、露伴?」 「――ひとつだけ思い出したよ」 「……なにを?」 「ぼくが、それを選んだ時の感情だ」 それだけ言って、露伴は踵を返して杉本家の庭から歩き出していた。一拍遅れて、が追いかけようと足を動かすその前に、頭は露伴の投げて寄越した箱の中身を気にしていた。逡巡する暇もなく彼女の指先は小さな箱の蓋を掴んでいた。引き上げ、その中身を覗きこむ。片手に収まる小さな箱の中にまんべんなく真っ白い綿が敷き詰められ、その中心に鎮座していたのは――指輪だった。しかしそれは一目見ただけでおもちゃだとわかるような、小さくて安っぽいちゃちなものだった。 は、それを摘まみ上げてまじまじと見遣る。それは紛れもなく四歳の岸辺露伴がに渡すために選んだものだと、状況からも、露伴の言葉からも理解できる。 では、交換する約束のものに指輪を選んだ時の岸辺露伴の感情とは? それってもしかして、と思った瞬間には、もう両の足が動き出していた。 「ねぇ、露伴!これって――」 「うるさいな!ぼくはなにも言わないぞ!」 「思わせぶりな台詞だけ言っておいて知らんぷりはないでしょ……!」 他に音のないこの場所で、二人は声はやたらと響いた。が、気にする者も同じくいない。振り返らせようとする幽霊たちも彼らの剣幕に押されたのか、何故かおとなしかった。騒がしく言葉を投げ合いながら歩き続け、あっという間に小道を抜けていく。 「はぁ……。――ねぇ露伴」 「なんだよ」 「お茶でもしてかない?カフェドゥ・マゴで。喉渇いちゃった」 「そうだな……そうするか」 さすがに天下の往来へと出れば、互いの声も普段の調子に戻っていた。ふと出された彼女の提案に露伴がのると、並んで歩きだす。軽い会話を交わしながら歩く二人はいつも通りに見える。しかし二人の距離は、小道に入る前とはやはり違う。触れた小指をきっかけに二人の手が絡むまで、そう時間はかからなかった。 |